あまりにも違う世界

「I will always write back.」というジュニア向けのノンフィクションを読んだ。

アメリカの女の子とジンバブエ(アフリカ)の男の子が、中学校のペンパルプログラムで文通を始める。両国の経済状況や生活環境は天と地ほど違い、写真やプレゼントをたくさん送るケイトリン(アメリカ)と、写真代はおろか手紙を送るための切手代にさえ苦労するマーティン(ジンバブエ)のやり取り。その後、それぞれの国で起こる事件に翻弄されながらも、手紙を書き続ける2人。手紙だけでこれだけ人と深くかかわることが可能なのかと感動した。

 

実は私にはジンバブエ人のいとこがいる。叔父がジンバブエ人女性と結婚したためだ。この本の2人が文通を始めた1997年の冬、私は丁度このジンバブエを訪れていた。

ジンバブエは元々イギリス領で、独立は1965年。ただ、1980年ごろまでは白人支配を受け入れていた。私が訪れた当時は、首都ハラレにはまだ白人の支配層にたくさんいて、そこそこショッピングモールなんかは賑わっているし、観光ホテルはカジノとかあって豪華だった。

でも、首都ハラレを一歩出ると、日本でいう竪穴式住居に毛の生えた程度の家に、子だくさんの黒人が住んでいる。もちろん電気も水道も通ってない。全く別の国に来たかのようだった。この本のマーティンは田舎出身なので、こっちのジンバブエが想像するに近いのだろう。

 

叔父によるとこの頃、ジンバブエはエイズ患者が世界で最も多い国。それもそのはず、乱れた性生活の上、避妊具は宗教上受け付けないというお国柄で、日本人の駐在員の中にもエイズになって帰国した男性も数人いたらしい。

ただ現地人である叔母に言わせると、「エイズになってもかなり長く生きられるから全然心配ない。今は、突然高熱が出て、血を吹いてすぐ死んでいくようなもっとずっと怖い病気が流行っている。」とのことだった。エボラだ。

ちなみに現在はコレラが大流行している。

 

その上にジンバブエを襲う暴動。白人追い出し運動である。白人農家を追い出したが、その農場運営のノウハウを誰も知らず農地はそのまま、欧米からの技術者も拒否し、当然の結果としての経済の停滞。食べる物が手に入らなくなる。

 

さらに、史上最悪のハイパーインフレ。一時は一年で230,000,000%のインフレ率をたたき出している。つまり、100円で買えたものが一年後に230憶円になるということだ。この時期にお金が稼げなかった人は飢えて死んでいくしかなかっただろう。

 

ジンバブエとはそういう国。それを間近で見ているので、「マーティンはお金のないままジンバブエにいれば、すぐ死ぬだろう。」と言う文中のジンバブエ教師の言葉は現実味があった。

その後この文通のおかげで彼の人生はガラッと変わっていくのだが、読んでみたい人のためにネタバレはよしておく。

日本語翻訳版 「かならずお返事書くからね」

 

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